マツナガブログ

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「植松被告」の死刑判決

今日はすみませんが、ニュースを見て感じた事を記事にしたくカテゴリを外れました。

 

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神奈川県相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月に、入所者ら45人が刃物で刺されるなどして襲われ、うち19人が死亡した事件で、殺人罪などに問われた同園元職員の植松聖被告(30)に横浜地方裁判所は、3月16日、求刑どおり死刑を言い渡した。

植松被告は、1月8日の初公判で起訴事実を認めていたから、裁判は責任能力の有無が争点になった。弁護側は、大麻の乱用による大麻精神病で異常思考に陥り、犯行時は心神喪失の状態にあったとして、無罪を主張していた。

判決では、襲撃時に会話ができるかどうかで殺害対象を選別した点や、職員の少ない時間帯に実行するなど、一貫した目的にそって計画的に行われていたこと、事件の後に警察署に出頭していることなどから、大麻精神病の可能性を否定し、事件当時に責任能力があったことを認定している。

そのうえで「とりわけ19人もの人命が奪われたという結果がほかの事例と比較できないほど甚だしく重大である。犯情は誠に重いというほかない」として、死刑を言い渡した。

 

事件の背景や動機がはっきりしないのはナゼか?

この判決のあとで聞こえてくる、遺族や被害者家族の声やメディアの主張は、事件の背景や動機がはっきりしない、というものばかりだった。

「事件の本当の背景は最後までわからなかった。もやもやしたまま結審し、判決に至った」

息子が重傷を負った父親は、閉廷後に記者会見に臨み、そう語っている。

事件を起こす5カ月前に、植松被告は大島理森衆議院議長に宛てて、犯行を予告する手紙を書いている。そこにはこうある。

「障害者は不幸を作ることしかできません。」

そう思い至った理由も、犯行へと背中を押した事情も、判然としないままだ。

しかし、この裁判にその解明を求めることからして無理がある。むしろ、期待しても無駄だ。

司法制度改革に伴い、裁判員制度が導入されてから、刑事裁判は「精密司法」から「核心司法」に変わったからだ。

以前のように、職業裁判官のみで判決が言い渡された重罪に相当する刑事裁判では、被告人の生育歴からはじまって、犯行の動機や背景事情など、詳細な真相や判決理由を大量の証拠から求め、判決を導いていた。そのため、審理にも時間がかかった。

 

介護などの仕事で事件は今も起きている!

「彼だから事件を起こしたとは思っていない」――。2016年、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で障害者19人が殺害され26人が負傷した事件について、重度の身体障害がある木村英子参院議員(54)=れいわ新選組=はそう語る。木村氏自身も19歳までの大半を施設で過ごし、職員から虐待やいじめを受けてきたという。8日に始まる植松聖被告の裁判員裁判を前に何を思うのか。入所施設がはらむ課題と障害者差別について聞いた。

 

相模原事件の発生を何で知りましたか?

 テレビのニュースで知りました。「ああ、起こってしまった」というのが最初の印象でした。ニュースを見て、自分が施設にいた時の光景や、虐待を受けた時の記憶が頭をよぎりました。とても怖かったし、ひとごとではないと感じました。

 私は横浜市出身で、幼い頃から神奈川県内の医療やリハビリを受ける施設に入所していました。小学校は、同じ敷地内にある養護学校養護学校高等部を卒業するとみんな当然のように成人向けの入所施設に入れられます。もし19歳の時に思い切って地域に出ていなかったら、自分は「津久井やまゆり園」にいたかもしれない。殺されていたのは私だったかもしれないという思いがあります。

 

施設ではどのような体験をされたのですか?

 小学生の頃にいた施設では、身の回りの世話をしてくれる看護師による日常的ないじめや虐待がありました。私は食事や排せつ、着替えなどにも介助が必要です。担当の看護師の機嫌が悪そうだなと思うとトイレに連れて行ってほしいと言うのを我慢したり、機嫌の良い看護師が通りかかるのを待ったりすることもありました。

 夜、消灯時間の午後8時が来ても、私だけベッドの上に上げてもらえなかったこともあります。暗闇の中、冷たい床にうずくまって寝るしかなかった。その時どうしてもトイレが我慢できず、ナースコールで呼ぶのも怖かったので、一人で廊下をはってトイレまで行こうとしましたが、結局間に合いませんでした。おもらしをした私を、看護師は「お仕置き」として狭い場所に閉じ込めました。他にも、食事の時間に遅れた時に食事をもらえなかったこともあります。食堂までの長い廊下を矯正靴を履き、松葉づえを使って必死に歩いたけれど間に合いませんでした。

 良い施設もありますよ、と言う人もいます。実際にあるかもしれません。でも、少なくとも私が過ごした施設は、そうではありませんでした。職員との力関係の差のようなものを幼い頃から感じてきました。19歳で自立したのは、もうそんな場所にいたくないと思ったからです。自分でビラをまいて介助ボランティアを見つける地域生活は大変だったけれど、施設を出たことを後悔したことはありません。あそこは、泣いても叫んでも誰も気づいてくれない世界でしたから。

 

植松被告は津久井やまゆり園の元職員でした。障害者と関わってきた職員が事件を起こしたことは、多くの福祉関係者に衝撃を与えましたがどう思いますか?

 私は、彼だから起こしたとは思っていないんです。最初は障害のある人を助けたいという思いで施設の職員になる方はたくさんいると思います。でも、施設によっては、決まった時間にご飯が来て、週2回くらいお風呂に入って、それ以外は入所者はほとんどベッドの上か狭いデイルームにいて……。そんな生活を何十年も繰り返していたら、心がだんだん死んでしまう。そんな自由を奪われた人たちの姿をずっと見続けている職員が、過重労働の中、介護を流れ作業のようにやっていく。津久井やまゆり園がそういう施設だったのかは分かりません。でも、希望が見えなくなる閉ざされた世界があるんです。本当に。

 そんな環境で、植松被告のような職員が出てきてもおかしくないと思います。障害のある人を見て、何も意思がないとか、何もできないで人間として生きている価値があるんだろうかと思っている職員の方が、私は今もいると思います。だから、植松被告がおこなったことへの怒りはもちろんありますが、彼のような人が出現してしまう環境への恐怖のほうが強いですと語った。

 

自身の意見

私も祖父の介護をしています。私も毎日が善人ではありません。いうことを聞いてほしく優しく話しても怒鳴られたりしたら嫌な気持になり介護したくなくなることもあります。この気持ちが究極的に大きくなれば殺害する行動がでるかもしれません。この事件を私はオーム真理教事件よりも恐怖を感じます。オーム真理教事件は主導者がおりそこからの洗脳的なものによる事件でしたが、今回の事件は今後も起こりうる事件であるためです。だからこそ、この事件について介護の問題と向き合う必要があると思い記事を書きました。